日本人の総氏神、天照大神が鎮座する伊勢神宮。なぜ、この地に天照大神が祀られるようになったのでしょう。記紀によると垂仁天皇の命を受け、天照大神の鎮まる場所を探す旅に出た倭姫命に伊勢の地で御神託くだり、この地に定まったということです。倭姫は垂仁天皇の第四皇女で、天照大神の御杖代(神が降臨してくる依代)として役割を担っていました。
その時の御神託は『この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜国(うましくに)なり。この国に居らむと欲ふ』というものでした。
この御神託の意味は「伊勢は常世の国からの波が繰り返し寄せてくる場所であり、辺境ではあるが美しい国なのでここに鎮座しよう」ということです。
「常世」とは海の彼方にあるとされた永久不変の異世界のことです。それは不老不死、若返りといった概念と結びつけられた一種の理想郷として、日本人の世界観と深く結びついてきました。
鳥羽巡礼の地を巡る
鳥羽が生んだ名作として三島由紀夫の「潮騒」はあまりにも有名ですが、鳥羽と縁のある作家は三島だけではありません。
三島由紀夫の小説、「潮騒」で有名な神島は鳥羽の沖合にあります。この島はかつて古代の文明の東端に位置していました。
当時、志摩国は答志郡と阿児郡という2つの郡に分かれており、答志島には答志郡の郡衛(郡の役所)がありました。
「御食国(みけつくに)」という言葉をご存知でしょうか。これは朝廷や伊勢神宮に太陽の霊力を一身にまとった海の幸を献上することを課せられた地方のことで、若狭湾、志摩国、淡路国の三国がその役割を担っていました。
太古から続く、太陽信仰と常世信仰の中心として栄え、御食国として多くの海女が今も漁を続ける鳥羽。
倭姫の太陽神である天照大神の鎮座する場所を探させた垂仁天皇は、田道間守に、不老不死の実である「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわち橘を常世の国に行って探してくるように命じます。
弘法大師空海も鳥羽の地と密接な関係を持っています。伊勢市にある金剛證寺を真言密教の道場として創立させた空海は、その奥の院として鳥羽の丸山の奥地に丸興山庫蔵寺を建てます。
太古から常世は海の彼方にあると考えられていました。海は常世と浮世(この世)の境界なのです。その境界である海に潜り、魚貝や海藻の漁をする女性たちがいます。